自分が「修理されている」ような気分への違和感

 

○○療法という言葉から

受け取る印象は

 

「心理療法という道具を使って

自分の心を修理されること」

なのかもしれません。

 

心の中に

何らかの傷(欠陥)があり

 

その修復のために

道具を使って修理される。

 

そして、修理された以上

直らなければならない。

 

治るべき。

 

なぜなら

直らなければ

自分は、真っ当な人生を

歩むことのできない

 

不完全な人間として

一生を終えなければならないから。

 

そう感じている人も

多いことでしょう。

 

複雑性PTSDというトラウマの症状は

「〜〜するべき!」

「〜〜でなければならない!」

という信念が

 

とても強固になってしまうから。

 

私が行っている

認知処理療法を基礎とした

個人相談に対しても

 

医療現場での

押し付けの心理療法と

 

同じような感覚を

持っている人も

大勢いると思います。

 

「させられる!」という感覚。

 

 

あなたは、いつも

自分の大切な時間を

失ったことへの

 

壮絶な喪失感の中にいます。

 

そして、その喪失感を

嘆き悲しんでいます。

 

この状態を

悲嘆(グリーフ)といいます。

 

決して取り戻すことができないと

気付いた瞬間に

 

あらためて

その大切さや

かけがえのなさに気付く。

 

そして、大切にできなかったこと

大切にしてもらえなかったことへの

怒りや後悔や悲しみが生まれてきます。

 

これは「悲嘆反応」といって

とても正常な心理状態です。

 

そして、この悲嘆反応を

落ち着かせるために

何が必要か?というと

 

喪ったものを弔う(とむらう)作業。

 

お弔い(おとむらい)

 

これを「喪の仕事(Mourning Work)」といいます。

 

身近なところで

経験があることの例でいうなら

「お葬式」です。

 

葬儀は、ありし日の故人を偲び(しのび)

その存在が

いかに尊く大切なものであったかを

あらためて確認していくことで

 

その存在を喪ったことへの

嘆きや悲しみを

自分の中で確信として受け止め

 

その人の存在から受け取った意味を

自分の中で

未来へと育て つなげていく作業。

 

それが、お葬式に代表される

「喪の作業」になります。

 

これと同じことが

私の個人相談の中で行っている

認知処理療法の中の

トラウマナラティブの語りです。

 

あなたの人生の中の

トラウマティックな出来事の中で

あなたが喪ったかけがえのないもの。

 

得られなかったもの。

 

それを喪ったことで

あなたが抱えている影響や痛み。

 

それを言葉にすることで

語りながら、あなたの中にある

悲嘆への経験に

 

人生を生きる中での

「意味」を見つけていく。

 

その経験に

「意味」を育ててあげるのです。

 

難しい話になりますが。

 

 

この「意味」を見出していく作業が

私との対話ですが

 

この対話について

認知処理療法という単語で

説明をすると

 

とたんに

「やらされてる感」が

ワッと起こってしまうのが

 

複雑性PTSDのトラウマ持ちさんの

一般的な感覚です。

 

わかってももらえないのに

一方的に やらされて

強制されて押し付けられて

 

「あなたが間違っています!」と

叱られる!

 

そう感じる人が、ほとんど。

 

私が相談を受けている

現在の人数は

約500人。

 

多いか少ないかという問題ではなく

私ひとりで

500人分の話を聞くことは

到底 不可能です。

 

なので

ある程度の期限や年限は

設けざるを得ない。

 

私は、親ではないので

その人と

一生 二人三脚することはできない。

 

後続者を見捨てることになるから。

 

私は、ただの支援者で

あなたの人生の友ではない。

 

一時、あなたの人生の中に

何かしらの関わりを持って

 

いずれは消える存在。

 

「大丈夫になるまで支えてください」

というのが心情なのはわかります。

 

では、いつになれば

あなたは大丈夫になりますか?

 

人間は

「もう大丈夫!誰も必要ない!」と

自信を持って言い切れる時など

永遠にありません。

 

常に誰かの存在を感じながら

自分と生きていくのです。

 

私が、年齢と共に

一緒にいる人たちが

変化していったように

 

あなたも

人生の変化と共に

支えてもらう存在は

変化していくのです。

 

私はあなたの中での

通過点であって

支えではありません。

 

そして、私は

道具を使って

あなたを強引に「修理」することもありません。

 

「修理」ではなく

あなたが、どのような形に

「変化」したいのか。

 

それは「創造」という

アートです。

 

あなたの人生は

あなたが価値を見出して

創造していくもの。

 

その作業に向かう

最初の入り口が

「喪の仕事(Mourning Work)」です。

 

 

「いい歳して、今さら」という気持ちを

きちんと喪の作業の中で

整理して意味を見つけてあげましょう。

 

あなたの経験は

あなたにしか わからない

大切な意味を持っています。

 

それが何かを考えるのが

私の行っている

個人相談です。

 

あなたの人生の

出来事の意味を決めるのも

見つけるのもあなた次第です。

 

 

ある患者さんの言葉を紹介しましょう。

 

その人は、30歳になったとき

20歳までに喪ったもの

得られなかったものの

リストを書いていました。

 

そして、ふと気付いたのです。

 

きっと自分は

40歳になったとき

30歳で得られなかったものの

リストを書いているだろう、と。

 

40歳になったとき

得られなかったものの

リストを書くかどうかを

選ぶのは自分自身だということ。

 

何のリストを書くかは

自分の自由だということ。

 

自分の全ては

自分が選んで決めて良いのだということ。

 

そしてリストに書かれたことたちへの

得られなかったことへの

怒りや悲しみや絶望感が

自分にどのような影響を与えていたのか

 

それに、やっと気付けたこと。

 

これは、喪の作業の中で

「つらい自分」を認めてあげた結果

得られたことです。

 

あなたの人生は自分で決めて良い。

 

「修理」ではなく「創造」です。

 

あなたの価値に気付いてください。

 

あなたは、生きている。

 

その存在の意味に気付いて

大切に創造してみてくださいね。