悲嘆反応と複雑性PTSD・子供の目線と大人の世界

私の目的というか

活動の最終的な目標は

「グリーフケアの大切さを伝えること」です。

 

グリーフというのは「悲嘆」のこと。

最近では、葬儀屋さんのキャッチフレーズや

宣伝文句に使われるようになっていますが

 

グリーフ(悲嘆)というのは

取り返すことのできない大きな喪失への

深く重いかなしみのこと

その痛みや苦しみのことを言います。

 

その傷や痛みへのケアや

サポートを行うのが

グリーフケアです。

 

グリーフケアというと

「ご遺族ケア」や「がん患者さんへのケア」などが

真っ先に思い浮かぶと思いますが

 

公認されない悲嘆(Disenfranchised grief)も

見過ごすことのできないグリーフです。

 

流産・死産・不妊

マイノリティーなどなど

 

社会の中では

さほど重要視されなかったり

心に傷が残るほどの

痛みや苦しみであると

 

認知されていないグリーフも

この世の中には

数限りなくあります。

 

虐待も同じです。

 

私は、いつも苛立ちにも似た

やるせなさを感じるのですが

 

「虐待」という単語が

勝手に意味を持って

一人歩きをしているような

そんな危機感を持っています。

 

虐待というと

世間の人たちが思い浮かべることは

ニュースで報道されているような

陰惨で凄惨な事件の情景です。

 

養育者からの暴力的な関わりのために

死に至るような事件や

 

それを逃れて児相や通報によって

救い出された子供たちが

寝るスペースもないような

 

収容人数の数倍の一時保護施設に

無理矢理送られて

とりあえずの保護を受けている状態など。

 

または、性虐待や被害のために

自宅に居られず

毎晩、繁華街を彷徨っている

女子高生、中学生の姿。

 

それも、確かに

虐待被害の一部です。

 

でも、それは

ごく表面的なことだと

私は考えています。

 

(上記の被害者の方々への侮辱ではありませんので

どうぞ、くれぐれも誤解のありませんように)

 

なぜ、家庭内で

虐待が起きるのか?

 

虐待というのは

結局、どういうことなのか?

 

私は、こう考えています。

 

「親がグリーフを抱えているのに

ケアを受けることができず

子育てしている環境の総称」

 

それが、大義での「虐待」だと

思っています。

 

親がグリーフへの

ケアを受けることができず

苦しんでいるのであれば

 

当然、情緒不安定になるでしょうし

落ち着いて

子供と向き合うこともできないでしょう。

 

子供から発せられている

大切なメッセージを

見逃してしまうことも増えるでしょう。

 

病児きょうだいという言葉があります。

 

病気の子供の世話と心配で

一杯一杯な親に育てられた

子供たちのことです。

 

親は、意図的ではなくても

どうしても、健康なきょうだいは

後回しにされることが増えたり

 

病児の状態が

家族の中の決定権を奪うことも

多々、起きるかもしれません。

 

その環境の中で

健康な病児きょうだいが

受け取っているのは

 

虐待と同等の

心的ネグレクトになる可能性があります。

 

 

悲しみ(グリーフ)の中にある親は

トラウマによる

ストレス反応と同じように

 

グリーフによる

悲嘆反応が現れることがあります。

 

イライラしたり

投げやりになったり

集中力が落ちたり

 

お酒やギャンブルに依存したり

DVやハラスメント行為に

至ってしまうこともあります。

 

子供には

親がグリーフのために

悲嘆反応を起こしていて

 

その影響で

親の情緒が不安定だったり

子供のメッセージを

受け取り損なっていることは

理解できません。

 

子供は、その状態を

どう受け取るか?というと

 

「嫌われた」

「怒られた」

 

そう感じます。

 

そして、成長すると

「愛されていなかった」

「親が人格破綻者だった」と

 

受け取り損なった情報はそのままに

親への恨みや憎しみが増幅していきます。

 

 

親は、長年のグリーフと

子供からの怒りや憎しみの

板挟みになり

 

さらに、傷は悪化します。

 

親子関係は、より険悪になり

家族・家庭は

修復不可能なほどに

崩壊へと向かいます。

 

家族は、お互いに

被害者、加害者という立ち位置で

相手を罵ることが続き

 

「対決してやる!」

「裁判を起こしてやる!」

「死んで後悔させてやる!」

 

そんな言葉が

現れるようになります。

 

親が、グリーフの中にあるとき

苦しんで痛みを抱えていたとき

 

適切なケアやサポートを

受けることができたなら

 

子供が、ここまで

苦しんだり

 

複雑性PTSDと呼ばれる

虐待の後遺症に

 

悩み続けることは

なかったのです。

 

グリーフ(悲嘆)というのは

とても個別のものです。

 

その人にしかわからない

つらさ、痛み、苦しみです。

 

リストラ

退職

倒産

出自

障害

墓守り

介護

病気

被災

犯罪

事故

DV

虐待

ハラスメント

容姿

差別

宗教

人種

嗜好

信念

死別

 

人の数だけ

この世には、グリーフがあります。

 

似ていたとしても

まったく同じグリーフはありません。

 

なぜなら、その人の人生を

生きたことがある人は

その人本人しかいないから。

 

その人にしか

その痛みはわかりません。

 

理解と共感を求めても

グリーフを持つ人には

 

他者を受け入れたり

引き受けたりする

余裕やキャパがありません。

 

無理に受け入れようとすると

共倒れや共依存が起こります。

 

苦しんでいる人には

苦しんでいる人の事情を

受け入れるだけの余裕がないのです。

 

大人になった虐待児は

過去の親の

そうした姿を徹底的に責めます。

 

過去を責めても

意味はないのではないかと

思っています。

 

「詫びろ!」

「謝れ!」

 

怒りのエネルギーを

全開にして

そう叫んでいる虐待児だった

大人たちを見ると

 

私は、とても

かなしい気持ちになります。

 

ケアを受けられずに苦しんでいた人が

ケアを受けられずに苦しんだ人から

罵声を浴びせられている姿が

 

何の解決も

もたらさないように感じられるから。

 

怒りは感じていてもいいと思います。

 

それだけ、自分のことを見捨てずに

大切にしているということだと思うから。

 

ただ、知ってほしいと思うのです。

 

グリーフについて。

複雑性PTSDについて。

悲嘆について。

 

ケアするということ

ケアされるということ。

 

 

 

この話をするのは

とても難しいことです。

 

私は、この話をすると

いつも

「親の味方をしている!」

「当事者の気持ちを蔑ろにしている!」と

 

罵声を浴びせられたり

ののしられたり

怒りの気持ちを

思い切り叩き付けられて

 

ものすごい長さの

クレームメールや

ほとんど絶叫に近い留守電が

 

長期間に渡って

繰り返されたりすることもあります。

 

 

だから、私がしているのは

社会への「情報提供」なのです。

 

なぜ、スッキリしないのか?

 

それは、自分の中で

納得できないからです。

 

どうして、自分は

あんなに理不尽な思いを

させられたのか。

 

なぜ、親は

あのような態度を取ったのか?

 

その情報が

子供の目線で受け取った情報のまま

冷凍保存状態で残っていて

 

大人になったあなたの判断を

とどこおらせているのです。

 

すべてを知って

納得したあとの怒りなら

 

とても清々しいはずです。

 

納得づくの怒りだから。

 

怒ることに

つらさや苦しさはないでしょうし

悩んでいないはずです。

 

悩みが続くのは

納得が済んでいないから。

 

落とし込みが

済んでいないから、だと思うのです。

 

 

人生の文脈について

ナラティブストーリーについて

もう一度

確認する勇気を持ってみてください。

 

きっと、何かが

変化すると思います。

 


 

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