個人相談に利用期限があることについて

「卒業したくないので

留年させてください」

 

そう言われたら

学校の先生たちは

 

なんと答えるのだろう?と

ときどき思います。

 

私の個人相談は

基本的に12ヶ月。

1年間で卒業です。

 

私が行っていることは

トラウマケアに関する情報提供と

利用者のトラウマナラティブの整理です。

 

つまり、どういうことか?というと

一人で生きていくために

必要な知識や情報を提供することと

 

その方の人生の中で起きていたこと

そのストーリー(トラウマナラティブ)を

客観的に整理して

その方のために必要な情報を提供すること。

 

それが、私の仕事で役割です。

 

 

私という存在は、通過点であって

安全地帯として居続ける場ではない

ということです。

 

「加納さんが居なくなったら

私は、これから

どうしたらいいんですか?」と

質問されることがありますが

 

「え?それを考えるために、何ヶ月も

通っていらしたのではないの?」と

私の頭の中は、「?」が飛び交います。

 

私は、利用者の方から見ると

守ってくれて

認めてくれて

教えてくれて

相談に乗ってくれる人なのかもしれません。

 

ずっと頼れる場所なのかもしれない。

 

お金儲けのことだけ

考えているのであれば

そういう方はウェルカムですよね?

 

ずっと通って

お金払い続けてくれるのだから。

 

リピーター

固定客 バンザイ!です。

 

でも、私は それは

ちっとも

うれしくないのです。

私のところに

通い続けているということは

 

結局のところ

何も変化していないし

動きたくない自分(回避パターンや回避思考)を

上書きしに来ているだけになってしまうから。

 

そういうことから離れて

自分で動いてみようという

 

その気持ちのきっかけを作ることを

「動機づけ」といいます。

 

どうしたら、その気になってくれるのか。

その気になれるように導くこと。

 

それが、私たち支援者の役割です。

 

で、ずっと居止まりたいと

相談されるたびに

私は、思うのです。

 

支援者としての役割を

何も

果たすことができなかった自分を。

 

何ヶ月もの間

私は、いったい何をして来たのだろう。

 

結局、私は

この方に対して

何もできなかったのかもしれない。

 

そう思うことが増えました。

 

 

動機づけに関しては

支援者が一様に悩まされます。

 

どうしたら

その気になって下さるのだろう?

 

いったい いつまで

つらい

つまらない

面白くない

親が憎い

人を信じられない

人がこわい

 

そんな気持ちの話ばかりを

聞くだけの時間が続くのだろう。

 

そのために

それを解決するために

個人相談を利用することを

選択されたのではないのだろうか

 

私の受け取り方が

間違っていたのだろうか。

 

インテークの際に

希望や動機を

もっと確認しておけば良かったのだろうか。

 

それを許さない生活環境があるのなら

なぜ、そこに居とどまる選択を

この方がしているのか?

 

それ以外に選択肢がない

この方の環境に

介入することができる

支援や法はないのだろうか。

 

現行法の限界。

 

目の前が、真っ暗になる瞬間です。

 

 

個人相談

講座

講演会

無料質問ライブ

茶話会

当事者のSNS運営

 

これだけの場を提供し続けて

月に1日

休めるかどうかの毎日の中で

 

個人相談以外の場は

すべてオープンにしてあるし

いつでも利用できるのに

 

個人相談だけに

こだわりを持たれるのは

 

プライバシーの問題か

私と話をしたいのか?

どうなのかな?と。

 

自分のことを知らない人と

また、一から話をしなければならない

そんな面倒なことはしたくないし

 

その人を

信頼できるかどうかわからないのに

そんな危険なことはしたくない。

 

という思考が

すでに回避状態だということは

あまりお気づきになっていない方が

多いような気がしていて

 

それも、私が

スタックポイントや回避について

お伝えし切れていなかったのだろうと

力不足に落胆する瞬間でもあります。

 

自分の過去について

知っている人でなければ

信頼関係を構築できないと思うのは

 

おそらく、自分の中の

ツラさやスタックポイントを

知らない人が自分と接したら

 

自分は、またつらい思いを

することになるという

不安や恐怖があるのでしょう。

 

自分のことを知らない人は信頼できない。

 

これが、スタックポイントですよね?

 

自分のことを知らない人は、自分を傷付ける。

 

そう思っているから。

 

知って欲しいことがあるのなら

必要に応じて伝えれば良いし

 

自分のことを知らない人が

自分のことを傷付けるというのは

ただの思い込みです。

 

なぜ、傷付けられるのか?

 

それは、その相手が

人のことより

自分の方が

つらい悩みを抱えている人だから。

 

不幸な人だから、です。

 

余裕がない人に

どんなに理解してもらおうとしても

ムダです。

 

子供の頃に

親を相手に

それは、イヤというほど

経験済みのはずです。

 

子供の頃から

周りに不幸な人や

悩んでいる人しかいない環境で

育ったことで

 

自分が安全・安心を

手に入れるためには

相手に理解してもらわなければならない

という信念が

心のど真ん中にドスン!とある。

 

それが、虐待被害者や

トラウマ持ちさんの心理です。

 

「別に理解してもらえなくてもいいんです!」

「どうせ、わかりっこありません!」

 

そう開き直る方も多いです。

これも、スタックポイントのひとつ。

 

極端な結論への飛躍。

気づいていない方は多いです。

潔さと勘違いしていることはあっても。

 

 

相手に

自分のことを理解してもらう必要は

実は、それほどないのです。

 

なぜなら

余裕のある人。

幸せな人。

 

満ち足りていて充実している人は

無条件で人に優しくできるから。

 

あなたは、ずっと

無条件に自分に優しく

愛情を注いでくれる

あたたかい理解者を求めて

探し続けて来たことでしょう。

 

その無条件の「条件」って

何だか、考えたことはありますか?

 

無条件の「条件」というのは

「相手の不幸を請け負う」ということ。

 

つまり、あなたは

不幸な人としか

一緒にいたことがないので

 

相手の不幸を一緒に請け負うことを条件に

相手からも要求を受け入れてもらえていた。

 

だから、あなたは

それがイヤで

「無条件の愛情」

「無条件の優しさ」と

お経を唱えるように

そればかりを考えていたのだと思いますが

 

無条件の環境が欲しいのなら

その条件(負荷)を

請け負う必要がない人と

一緒にいることを考えれば良いだけです。

 

それが、できない言い訳を

たくさん並べて

自分を擁護することを続けても

 

それは、支援者からすると

動機づけが、まだできていない状態。

 

結局、変わる気なんて

ないんですよね?と

そう思わされてしまう瞬間だったりもします。

最近、こういうことを

考える時間が増えました。

 

おそらくバーンアウト寸前なのだと思います。

 

 

一年、半年。

療養やセルフケアに

入る方が良いのかもしれない。

 

ここまでやって来たのだから

もう、悔いはないでしょうと

支援者の知人から言われることもあります。

 

 

つかれた

 

 

そういうことなのだと思います。

 

年末年始。

手付かずのまま溜まってしまった

帳簿の整理をしながら

少し、休めたら

 

少し元気に

楽になれるかなと。

 

まあ、歳ですかね。