卑屈な自分を変えたい!と思ったら?

「申し訳ない」
「不甲斐ない」
「みっともない」

あなたが
自分にかけ続けている言葉ですそれ、どこで覚えましたか?

 

昔、私は とても卑屈でした。

 

「どうせ〜〜ですよね!」

「私が悪いんですよね!」

「もういいです!結構です!」

 

いっつもイライラしていて

とっても悲しくて

寂しくて

そんな自分が大嫌いでした。

 

どうして、こんなに苦しいのに

誰もわかってくれないんだろう?

 

どうして、いつも こんなに

人に嫌われて

イガイガしていて

誰も助けてくれないんだろう?

 

そう感じていました。

 

受け取ること ひとつひとつが

全部自分のことを傷つけるので

すべてから被害を受けていた。

 

それを人からは

被害妄想といわれ

 

扱いにくい

関わりづらい人として

次第に人が遠ざかっていって

 

「いいんです、別に。

どうせ一緒にいても楽しくないし!

気を遣わせられるだけで疲れるし!」

 

「もう、ほっといてくださいよ!」

 

そう思いながらも

「ああ、本当にどこにも誰もいない」

 

そんな絶望感というか

生きていて何の意味がある?

 

幸せって、何?

 

そんないらだちを

仕事にぶつけてみたり

無意味に空回りして

 

一人で鼻息荒くて

周囲からバカにされたり

うっとおしがられたり。

 

「あの女、ウザ!」

 

そう言われてるんだろうなぁ。

まあ、そうだよね。

そりゃそうだ。

 

そう思って生きていました。

 

 

今、私がカウンセラーとして

お話を聴かせていただく立場になって

来談者の方から聴かされる

 

「いい塩梅の卑屈さ」が

とても愛おしく、懐かしく

 

「ああ、そうだよね」

「悔しいよね」と

 

そう感じながら

お話を聴かせていただいています。

 

もしかしたら、あなたは

その卑屈さやへそ曲がり加減を

 

自分の性格の嫌な部分だと

そう思って悩んでいるのかもしれない。

 

でも、それ違うんだろうなと思うのです。

 

そう感じずにはいられないような

過去の経験から

何かを学習し過ぎてしまったのだと思うのです。

 

「卑屈」って、防御だと思うのです。

 

「どうせ、〜〜でしょ!」って思うのは

それ以上、関わらないことにしようと

自分に言い聞かせるための

あきらめの呪文だと思うのです。

 

あきらめたくなるのは

期待を裏切られ続けたから。

 

期待してもスルーされて

肩透かし食らって

傷付けられて、攻撃されて

 

また、あんな思いをするくらいなら

自分の方から心のドア閉めて

シャッター降ろしちゃった方がいい。

 

そう感じさせられるような

理不尽な思いを

散々させられてきたから。

 

どれだけがんばっても

叱ることしかできない親。

 

必ず条件付けがあった

過去の安心や居場所。

 

「卑屈」な気持ちにさせられるのは

大切にされていない自分」を

嫌というほど味わってきたから。

 

一番、大切にして欲しかった人に

一番、守って欲しかった人に

 

ないがしろにされて

大切にされていないと

感じさせられ続けたから。

 

一番先に思い浮かぶのは親。

 

「愛されていない自分」って

「大切にされていない自分」ってこと。

 

これを繰り返されると

「自分は大切にされる価値のない人間だ」

という気持ちが育ってしまう。

 

「どうせ、私なんて!」って

卑屈な気持ちが生まれてしまう。

 

卑屈が生まれる背景には

「人権侵害」や

「個の尊厳の軽視」があります。

 

ちょっと難しい言い方ですが。

 

例えば、どこかのお国で

差別されている人種や宗教があったとすると

その人たちは、被害を受け続ける中で

 

次第に物事の受け取り方が

「卑屈」になってしまうでしょ?

 

「どうせ、〜〜に決まってる!」とか

「もういいです!」って

最初からあきらめてしまうとか。

 

 

差別、虐待、DV、迫害。

これらが生み出すのは

複雑性PTSDという心の傷、トラウマです。

 

あなたは、卑屈な人なのではなく

過去の被害経験から受けた

心の傷(トラウマ)のせいで

 

そうとしか受け取れないように

心が完全防御体制になってしまっているのです。

 

なぜなら、

安心させてもらえないから

 

ありのままの自分をさらけ出すことが

死ぬほど恐ろしいことだという学習経験を

長い年月、し過ぎてしまったから

 

あなたが、自分のことを

「ああ、卑屈だな」と感じたら

 

あなたは、その相手やその問題に

トラウマが恐怖しているのです。

 

不安なのです、怖いのです。

 

だから「卑屈」が やってくるのです。

誰も守ってくれなかったから。

 

「大丈夫だよ。一緒にいるよ」

「平気だよ、そんなの」

「手伝うよ?一緒にやる?」

 

そう言ってくれる誰かがいたら、

あなたの苦しみや不安を

一緒に感じてくれる誰かがいたら

 

あなたは、そんなに

「卑屈」にならずに

済んだのかもしれない。

 

そういう「誰か」のことを

社会資源」といいます。

 

 

社会資源というのは

あなたが、当然 受け取って良い

ケアやサポート、支援や援助です。

 

ところが、あなたは、こう感じます。

 

「申し訳ない」

「不甲斐ない」

「みっともない」

あなたが

自分にかけ続けている言葉です。

 

自分の力でなんとかできないこと。

引き受け切れないこと。

抱え切れないこと。

 

無理!

できない!

誰か助けて!

 

そう言えない、思えないのは

あなたが悪いのではありません。

 

そういうことは恥だ!」と

人生のどこかで

妙な価値観を植え付けられて

しまっているのです。

 

「男のクセに泣くなんて!」

「お姉ちゃんのクセに!」

「みんなできるのに!」

 

自分で責任取れ!

迷惑だ!

 

そんなメッセージを

ずっと人生の中で浴び続けていたから

 

助けてください!ということが

協力を求めることではなく

泣き言をいう惨めな負け犬だと

そう思わされてしまったのです。

 

幸せそうに、楽に

楽しそうに生きている人たちは

 

「誰か手伝って〜♪」という言葉が

とても自然に出てきます。

 

彼らには、手伝ってくれたり

助けてくれたり

協力してくれたり

理解してくれる人たちが

人生の中に、常に居たから。

 

あなたには、それがなかった。

だから、ツラかったのです。

 

なぜ、居なかったのか?

 

それは、自分のことで

いっぱいいっぱいで

自分のツラさで余裕のない人たちとしか

生活したことがなかったから。

 

DVを受けているお母さんとか

嫁いびりを受けているお母さんとか

対人不安のお母さんとか

劣等感の塊のお母さんとか

 

自分のことでいっぱいで

子供の気持ちを拾う余裕のないお母さんと

一緒に暮らしていたから。

 

「そんなことくらい、自分でしなさい!」

「どうして、わからないの!」

「なんでできないの!」

「世話焼かせないでよ!」

「恥かかせないでよ!」

 

そう言うことしかできない

苦しんでいる母親と

一緒に暮らしていたから。

 

親がグリーフ(心の痛み)を抱えたまま

ケアを受けずに子育てをすると

その子は卑屈になります。

 

疑い深い、卑屈な子になります。

 

そうして自分で、自分を守るしか

生き延びることができなかったから。

 

 

「卑屈」は、

あなたの「不安」の裏返し。

 

見捨てられ不安。

傷付けられる不安。

侮辱される不安。

 

安心できる安全な場所に

自分を置くことから考えてみましょう。

 

そうすると、自然に

ものごとの受け取り方が変わります。

 

それをくれるのが

「社会資源」です。

 

「社会資源」

 

もっと、求めてください。

協力して!って、もっと言って良いのです。

 

慣れるまでは、専門家に。

慣れてきたら周囲の人たちに。

 

あなたからあなたへの

誤解を解いてあげてください。

 

本当は、あなたは とても素敵な人なのです。